孤児たちのいびり役ハニガンさんの、
パーソナリティを中心に書いてみようと思います。
世界大恐慌時代のアメリカ、主人公である児童アニーは、
ニューヨークの孤児院で暮しています。
ここに彼女や孤児らの敵役となる孤児院の管理者、
ミス・ハニガンが登場するわけです。
この物語は勧善懲悪がはっきりしていて、孤児たちをいびり、
口汚い言葉を浴びせる性悪女像ミス・ハニガンの悔しがる様は、
見ていて非常に爽快です。アルコールに溺れるわ、
機嫌が悪いと孤児に八つ当たるわの彼女は、
もう、とんでもなく意地悪な女性として描かれます。
その一方で、外の訪問者には悪さを気づかれないよう、
脅しまがいの方法で、孤児たちにこう言わせるのです。
「だーいすきです!ハニガン先生!」
それは半ば孤児たちの間で皮肉にもなっているのですが、
この作品、児童虐待の構図をよく描いていると思います。
さて、女性の汚名だけで作られたようなキャラクター、
ミス・ハニガンの良心が、場面に描かれる作品があります。
アイリーン・クインがアニーを演じた、映画版です。
日本の舞台と概ね筋は変わらないのですが、
アニーをかばうシーンが挿入されているのです。
はみ出し者の弟ルースターとツレのリリーが、
アニーを殺そうとした時、ハニガンが血相を変えます。
決して、虐待を奨励する意見を申したいのではありませんが、
私には、だんだんとこういう考えも芽生えてゆきました。
ミス・ハニガンの歌うリトル・ガールという曲の中で、
“愛を知らない、愛に飢えている自分に子供を愛せなんて、
それはまず無理な相談だよ。
頼れる男性、自分を愛してくれる者も傍にいないのよ。
それなのに大人数の母親なんて、出来るものか。
それがあたしの本音よ。現実よ。”
そんな内容が描かれます。
これは正直、わかる気がするのです。
子供の立場からしたらいびり女なんて鬼でしかない、
その一方で鬼を隠して天使であれという立場の維持も、
心の中で、鬼にしごかれている状態になりましょう。
ですから、鬼のハニガンにも良心はあったというのは、
しっくりくる描き方だったわけなんですね。
でね、虐待児の状況を調査すればわかるのですが、
アニーに登場する孤児たちのように、
明確に自らの反発心を意識出来るというのは、
精神の健康を判断するための一指標でもあります。
逆にルースターやリリータイプの人間が面倒を看ていたら、
棒切れみたいに存在感の薄い、子供が登場したのではないか?
私は、そんなことを思ったりします。
からかいたくもない相手よりは、反発を明確に意識し、
からかいたくなる人間の方が、
子供は相手に対して、好意を抱いているらしいですね。
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