自分の感情を尊重する責任を果たしておかないと、
私の心はスプリッティングの刑期を終えられない。
大事にして貰ったことがあっても、まるで一度も、
大事にされたことがなかったような、
世界観の継続にピリオドを打てなくなってしまう。
私が、しっかりとそれを主張できた時程に、
大事にして貰ったことをも思い出せるんだ。
他方、どうやらそれは相手にとっても同じらしく、
私の腹に飛び込めた時、その人も、
大事にして貰ったことを思い出してしまうらしい。
人同士が関係性を育むというのは不思議なもので、
意見の食違いが繋ぐ、新たな絆というものがある。
だけどもし、私や、相手の下に子分がいたりして、
その衝突が一対一にならないとなれば、
新たな絆への道のりとはより、複雑になるだろう。
「だから、自分たちに生じる分かち合いの方法は、
自分たちには適用できても、無闇には薦められないね。」
揺さぶりと抱えによって関係性を繋いで来た、
例えば私と誰かは、その点で笑い合ったのでした。
そういう人物と共にいることは思いがけず、
何年も前に刺してしまった心の杭が、自分に再び、
意識されるきっかけともなるのだろう。
しかし、その人との関係性こそが、杭を抜いてくれるのだ。
柔らかくそうである時もあれば、
ショック療法的な経過の方が、
むしろ、予後が良いこともある。
どうやらそういうものを司る、ソウルメイトがいるという。
そして、その二人を見守る、
優しきソウルメイトもいると思う。
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