2009年11月28日

殺伐とした感情の中で。

秋葉原の通り魔事件について私が思い出すことの一つには、
自らを忌々しく思う、犯人の心模様や評価意識があります。
“オタク青年に限られた陰鬱な感情”として、
とりあえずはテーマを部分的に切り抜くことは可能ですが、
ここに私は、むしろある種の普遍性を見出してしまいます。
例えば、ダイエットやコスメ商品の購買に走る女性心理や、
ブランドものを身に着けないと気が済まない、
(男性にも通ずる)心理等、
それらの衝動との間においても共通性がある、と、
そう思わずにはいられないのです。

整えずにはいられない思い・・・。願い・・・。
それらは何と言っても、自らの素を承認できない、
“粗探しの得意な自分自身の表れ”ではないでしょうか。
或いは、美意識に転換された成果主義とでも、
申してみたらよいのでしょうか・・・。とにかく・・・、
自己批判に追われるのは、たまらないことですよね。
この手の感情傾向をカウンセリングの世界ではよく、
“醜形恐怖症”等と称します。

それにしても、テレビドラマや舞台、漫画等、
美しい人を見かける機会が増えましたよね。
寝起きでも髪は整っているし、湯船の中でも化粧をしている。
風で髪が乱れたって映像の中の人々は、様になっています!
それらは見ていて面白いのですが、同時に視聴者の内面では、
変な錯覚も生まれているでしょうね。
繰り返し、繰り返し、寝起きだってイケてる画像を閲覧して、
それを真に受けてしまう純粋さがあれば、ますます、
乱れに対して目敏くなることでしょう。
そうして、自分の中に姑が生まれます。

そのイメージはこう、自分に囁くのです。
「乱れるならばせめてそれも、様になっているべきである!」
その声に従順な者たちは、途端にお洒落になります。
他方、異議を唱える者がいます。
「不細工に映る自分の姿をまず認めないならば、
 自分は、そんな不平等な愛の神に魂は売らないぞ!」
身を寄せ合う場所がわからない中で、
着飾ることで身を寄せようとする者たち、
そして、それを拒絶する者たち・・・。
でも、時々、着飾った者同士でも、
相手や自分の中の姑に跳ね除けられて、

お酒を頼りにしてみたりする・・・。

人間は殺伐とした感情の中で、
それを持て余してはどこか、足掻いているようです・・・・。
posted by 澄美 at 18:51| 心の薬味と受容 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月26日

見せるための自分、見せずにいい自分。

最近、安堵しています。
今の夫と一緒になって、よかったなぁぁってね(T_T)
いや、“今の”とは書きましたが、紛れも無く初婚です。
ただ、夫以前におつき合いをさせて頂いた人はおりまして、
今、ここに繋げるための、経験等を積ませて頂きました。
そして、それらの人間関係には、精神的に鍛えられました。
いえ、むしろ、「幸せになろう!」って決心をする、
この腹を括るきっかけを作って貰った感じがしています!
ところで、人間って幸せになりたいと思いながら、
どこか、幸せを怖がるところもないものでしょうか?
例えば、この世には、幸せへの対抗勢力として妬みや、
嫉みの感情なんてものもあるわけです・・・。

そういうものの存在を薄々は、
たいていの人々が感じ取りつつ、
日々を暮らすとも言われます。だから、
“幸せという概念については関心を向けながらも、
 同時にまた、微妙に呑み込めないものが幸せでもある。
 しかし、この感じ、感覚の狭間に欠乏感が滲み出て、
 かえって、幸せを貪欲に欲してしまう衝動性・・・。”

私が思うには何だかんだ、人は皆、
そういうものの狭間において、自らの、
生命を営んでいるところもあるのではないでしょうか。

私は、つい、そんなふうに洞察を進めてしまいます。

でも、もし、いや・・・だからこそなのかな、
私は、自分のパートナーには世の中のそういう、
微妙なところに向かってもある程度は、
感性を開いていて欲しいと思います。
そうでないと片一方がシグナルを察知して、
片一方が見逃しているという現実感のズレが、
大切な夫婦関係を崩壊させていくからです。
他方、自分はそのパートナーにとって、
自分程には見えないという点に含まれるメリットをも、
きちんと相手にフィードバックできるよう、
自らで、自らの精神をも扱っていきたいと思います。
維持してゆきたいです。

芸能人カップルの破局報道を耳にする時、私はいつも、
庶民であることのありがた味をしみじみと感じています。
この点を言い換えてみるならば、これらの事件に向かい、
私はどこか、かすかな心の痛みを覚えてしまうのです。
あの・・、“無駄に、人目にさらされた状態にあって、
カップルを維持すること”って、
外の者が考える以上に大変なことかもしれない
ですよね。
“見せることを生業とする人たち”にとっては、
これもまた、単なる仕事の内であるのかもしれない。
だけど、彼らこそやっぱりね、
羽を休めることも出来ますようって思ってしまいますね。
posted by 澄美 at 13:08| 心の薬味と受容 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月19日

おばあちゃんのお膝、心。

共働きの親元に誕生した私にとって、
祖母は母親のような存在でもあります。
彼女には、年子で生まれた従兄弟と二人、
赤ん坊の頃から、面倒を看て貰いました。
従兄弟(←♂)と私は座敷童子になって、
彼女を安全基地にしてよく遊びました。
生まれ月に差のある年子同士だったので、
先に生まれた私には早くも、
姉のような兆候もあったと聞きます。
私が、従兄弟のオムツを替えたという、
謎めいたエピソードも残っていますが、
赤ん坊が、赤ん坊のオムツを替えるって、
そんなことが本当にあるんかいな・・・。
ほんまーかいな、そうかいな♪です。

ただ、下の子が早かったことと彼が、
おばあちゃん子になった様子を察してか、
彼女へのお膝離れは早かった気がします。
遠慮なく、従兄弟は膝に乗り始めましたが、
私は、確認を入れないと出来ないのです。
女同士、情緒的な話はするし、
孫の扱いに差別もなかったのですが、随分、
早い内から気恥ずかしくなったのです。

ところが先日、オールドオールドに入った、
おばあちゃんにおしゃべりをする、
子供のぬいぐるみを贈ったところ、
母や叔母からこんな話を聴かされました。
喜んだ様子で祖母がこぼした言葉は、
「スーちゃんが帰ってきたぁ。
 スーちゃんが帰ってきたぁ・・。」で・・、
まるで愛しい愛しい、
わが子をあやすようにかわいがっていたそうです。
身内の失踪事件等も重なったためか、
オールドオールドに入ってからの祖母はどこか、
孤独な様子が目立ちました。

耳も遠くなり会話力や、認知力も落ちて来ました。
――もともと弟や妹の世話、畑仕事で忙しかったので、
  文字というか、漢字を知らない人でもあります。――
そこでプリモプエルというトークドールや、
祖母と小さかった頃の孫たちが、彼女と交流をする、
様子をイラストにして贈ることがありました。
祖母にとって座敷童子のいた頃が、一番、
いい時であったとも聞いていました。

イラストの中に一枚、
祖母の膝に乗せてもらっている女の子を描きました。
それは私でもあり、祖母の娘たちでもあり・・・、
いろいろにとりようがあります。
しかし、その絵を送った頃から祖母が、
祖母の膝に乗ろうとしては一旦躊躇する、
猫の話をするようになったそうです。
「その猫は一気に膝に駆け上がらず、
 乗せてもらってもいーい?って、首を何度かひねるんだよ。
 で、いいよって言うと休んでいくんだ(^^*)」
この話を聴いた時、私は何とも言えない、
温かい愛情に包まれる気持ちになりました。
その猫はもしかしたら、おばあちゃんの衰えた膝と、
おばあちゃんの孤独をも気遣っているのかもしれません。


それにしても何にしても、
膝に一気に駆け上がる座敷童子も、
ついつい、確認を入れてしまう座敷童子も皆、
大事にして貰ったということなのでしょうね。
おばあちゃんにどうもありがとうって、
私は心から思っています。
posted by 澄美 at 15:05| 日常のあれやこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月15日

愛着のゆくえ

休日の午後3時前後には紅茶系統を入れて、
西洋菓子を出してくれるのが、我が夫の習慣です。
赤ん坊の頃から共働きの両親は忙しく、
日中を農家のおばあちゃんの家で、
過ごして来た私にしてみれば、
どこか優雅な異世界です。

お、おやつってかき餅、お煎餅、お茶じゃないの?
時折、イナゴ(の佃煮)じゃないの?とか。
そして、飲み物は緑茶かお白湯じゃないんだぁ、とか。
私の脳裏には田んぼの縁にゴザを敷いて、
同い年の従兄弟と食べた、
塩にぎりが思い浮かびます。

袋いっぱいにイナゴを詰めては、
従兄弟と田んぼを歩いた日々が蘇ります。
何匹か笹の葉に似たバッタを入れたら、
「これは食べられない。」と知らされた、
あの日々が走馬灯のように巡ります。

しかも、定時のおやつなんて習慣は、
うちにはなかったよ?!なかったのよ、ジンさん!
・・・とか思いながら、美味しく頂きます。
と、その目の前で、ものすごく繊細な手つきで、
西洋菓子の剥離紙?や包み紙を綺麗に除ける、我が夫・・。
しかし、そんな夫がのたまうに私という人間の、
「束縛されていないところ」や彼にとっての、
「型外であるところ」には良き関心が向くそうです。

それを言ったら彼だって、私の「型外」ですってば!

そういえば私の父も、父の故郷で出た初めての、
沢蟹料理を食べる母の様子を「女の子で珍しい!」と、
地元の男友達と言い合ったことをそれはそれは懐かしく、
愛おしそうに話します。人にもよるけれど男の人って、
変なところに愛着を感じているもんだなぁ・・と、
娘としても、妻としても思ってしまう私がいます。
posted by 澄美 at 14:41| 日常のあれやこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする